あべこについて。
このたびの一泊二日の短い東京の旅。
ラストの大とりは、もちろんこのヒト、アベコ!

先月、その電話は急にかかってきた。
「赤ちゃんが・・・・・」
静止した一瞬ー。あべこのお腹に、命が芽生えた。
たくさんのベビー懐妊の報告を受けてきたけれど、あべこの場合は興奮の種類が違う。
まったく準備していなかったし、ココロのどこかで、あべこがお嫁に行くなんて、ずっと先だと思い込んでいたのだ。
そして私、あべこの聖なる日に関わるため、このたび、この旅。
結婚式のことを書く前に、あべこのことを記して残しておきたい。
出会いは、6年前にサカノボル。目黒通り沿いの私のショップに突然訪れた新規客・あべこ。
「車で前を通るたび、ずっと来たかった店なんです!!」「ありがとうございます♪」
「可愛いお店ですね!欲しいモノだらけ!あぁ、どうしよう!」と大興奮しながら、買い物をしていったあべこ。それから、常連さんになり、来店のたびに購入物のクオリティを上げていった。
とにかく、素敵なモノに支えられて生きているような、元気な子だった。
大分の店、アリスクロゼットの出店が決まり、当時のバイト・みいこの懐妊も手伝って、新スタッフ募集の張り紙を小さく店頭に貼った。
それに名乗りをあげたのがアベコだった。「働かせてください!ここで!」
実は大いに迷った私。常連さんをスタッフにして、私が仕事を教えるということに抵抗があって。
でも、私の店が大好きだというあべこの情熱に乗っかった。
とにかく、不器用な子だった。ひとつ覚えるまでに失敗を繰り返しながら、それでも、私がすごいなぁと思ったのは、失敗したことをリベンジしようという姿勢が真剣だった。
失敗したら取り返す。何度も何度も、怒られても、「やらせてください!」という純粋な姿勢。
そうやって、あべこは仕事を覚えていった。
当時のそのお店は、お客さんの滞在がとても長くて、お客さんとの会話が密な店だった。お客さんと友達になるというコトを大切にしている店だった。そのコンセプトは、現在のアリスクロゼットでも変わらないけれど。
笑顔が明るくて、好きなものをお客さんに伝えるのに真剣だった。どんどん、「あべこファン」は増えた。
私が東京の店と大分のアリスクロゼットを行き来している間、あべこは東京の店をきちんと守り、とにかく掃除は完璧で、「私に出来ることを一生懸命します」と、掃除もそうだけど、接客に関しても、売上に関しても、毎日の売上目標を個人的に決めている子だった。
「お客さんのお財布を考えながら、本当に似合うものだけを薦めてあげてね」という、私の店のコンセプトに、百貨店の販売員出身のあべこは、「こういうモノの売り方をしたかったんです」と言って、お客さんの欲するもの、生活背景をきちんと覗けるように成長していった。
少し接客が強引だったかな、と感じたときに、ココロから、「でも本当によく似合っていて、その方に着て頂けたら絶対その人が幸せになると思ったんです」と、純粋に言える子だった。
私はあべこが大好きで、あべことは本当に価値観があって、一緒にいる時間が飽きなかった。
とにかく毎日一緒にいて、仕事が終わってからの食事も毎日一緒だったし、お互いがオフの日も夜は合流し、自由が丘界隈のお店では、私たちの仲の良さは有名だった。よそのお店さんから、「どうしたら、あんな風に店のことを一番に考えるスタッフを育てられるのか教えてください」と、よく言われた。
私は「彼女のもってる天性の純粋さです」と答えていたけれど、あべこは、「オーナーの言ってることは筋が通ってますから、ついて行ってるだけです」と答えていたらしい。これもよそのお店さんによく聞かされた。
一番、彼女が純粋に店を愛していると感じた出来事がある。
ある年のお盆、帰省ラッシュに伴い、東京店のゆるゆるモードを見越して、アリスクロゼットのみの営業にしようと東京店は五日間のお盆休みをとることにした。その間にあべこにゆっくりしてもらおうと思ったし、東京店でしか扱ってないブランドをアリスのお客様の見せようと、私は帰省した。
お盆のアリスのみの営業を終え、東京に帰ってきて営業を再開すると、何故か常連さんと話がかみ合わない。よくよく話をしていくと、東京店は通常通り、オープンしていたと言う。
「開けてたならお給料が発生するんだから、言わなきゃ」と言うと、「休みと言われても店が気になって、開けてたら売上あげられるので・・・。でも、オーナーにそれを言うと、オーナーの仕事は二重になりますから・・・」と言う。すごいな、このヒトと心から思った。なんて有難い。
私不在の東京店は、きちんと売上をあげていたのだ。
とにかくお客様に愛された。私とあべこは役割を分けていることをお客さまが認識し、私の苦手な仕事はあべこが買って出た。お客様が、「ふたりはセット」と呼んでくれていた。
三年経った頃、私はどちからかの店を閉めることを独りで決意した。景気の降下と、二重経費の節減、そして、情熱の二分化に疲れていた。片方のお店の状況が見えないことに苛立っていた。
「私は事業家には向いてない。現場にいたい人間だからこそ」と、独りで決めた。
だからアリスクロゼットを閉めようと、とりあえず日田へ向かった。でも、今でこそ家族のような関係の某住○株式会社の常連さんや、隣でオムニを頑張ってるチコ、そしてアリスクロゼットで頑張ってるスタッフに逢うと、なかなかそれを切り出せず、一日を終え、「どうしたものかな」と、三隈川へ向かった。
しんしんと静まり返った夜の闇のなかの川面、てんてんと灯る規則的な外灯。美しい三隈川。
それを眺めて、私は突然の決意を変えた。
「東京を閉めよう」
その時の気持ちは言葉で言い表すのが難しい。私の目の前を広がる川面を見て、その美しさに見惚れ、私の育った街を誇りに思った。
私は川を眺めたまま携帯を取り出して、チコに電話した。
「グラマラスライフを閉めるわ」
チコは、「あなたが決めたことなら。帰っておいで」と言った。「でも、あべこは?」とも、チコは言った。
「それだけなんだよ、執着は」と私は言った。
「あべこちゃんは大丈夫。あの子は、どこででもやってけるよ」
「わかってる。私はあべことの日々に執着してるんだね」
「相棒だもんね」「うん」「辛いね」「うん」「でも生き抜いていかないとね、あんたの店だから」
「そうだね」
そして東京に帰った私は、私たちのお気に入りのカフェ「アジト」へあべこを連れていった。
一時間以上言えなかった。やっと切り出したとき、「もう、このアジトへは来ません。辛すぎる思い出です」とあべこは言った。
私たちは閉店作業に没頭し、あべこは、「ここが閉まるまで就職活動はしません。全意識をこの店だけに捧げます」と言った。そして、私たちは最後の日、店でお客さんたちとシャンパンを飲んで、最後にあべこに鍵を閉めさせた。あべこは、「閉めますよ」と言いながら、なかなか鍵を閉められなかった。
そして、私は先に九州に向かい、その何日か後にあべこは日田に来て、二週間滞在した。
私は、「再び、この人と仕事をするために頑張る」と、時代の荒波に目を見開いた。そして、二週間が経ち、あべこが東京へ帰る日、あべこが乗った飛行機を見送りながら、泣けなかったことを私は後々までずっと後悔した。
あべこは次の職場で、大きな力を奮った。「新しい人材」だと、大切にされたらしい。「ヒトはいつでも笑顔でいなければいけない」というコトを、会社側があべこを見て感じたそうだ。そのことを、あべこや、あべこのお母さんが、「すべて、オーナーが教えてくださったコトです」といつも伝えてくれた。
あべこに執着していた日々、私はいまでもあまり変わらない。次々と進化していくアベコを見つめながらも、私にとってあべこはずっと相棒なのは変わらない。
いつか、いつか、と思い続けながらも、それでも、この街に根づくコトを日々確信していった。
あべこといつかまた、仕事をすると思いながら、それでも、もうこの地域と共存することを感じていった。
これも人生。哀しいかな、素晴らしきかな、人生。歴史に支えられ、進化する。あべことの日々も私にとって、足跡であり宝物へと。
そして、あべこに芽生えた命。時は移り変わる。ヒトの歴史は新しい感動で塗り変わっていく。
私の大切なもの、焦がれるように輝くものが、またひとつ増える高揚感。
あべこ、心から嬉しいよ。ある意味、私にも、天使だよ。



私たちは、何度でも越えられる。あの日の別れを想えば、新しい景色に希望を見なければ、前に進めない。私たちは、何度でも、存在価値を作り出せる。どこでも、どんなときも、必ず笑顔だ。
ラストの大とりは、もちろんこのヒト、アベコ!

先月、その電話は急にかかってきた。
「赤ちゃんが・・・・・」
静止した一瞬ー。あべこのお腹に、命が芽生えた。
たくさんのベビー懐妊の報告を受けてきたけれど、あべこの場合は興奮の種類が違う。
まったく準備していなかったし、ココロのどこかで、あべこがお嫁に行くなんて、ずっと先だと思い込んでいたのだ。
そして私、あべこの聖なる日に関わるため、このたび、この旅。
結婚式のことを書く前に、あべこのことを記して残しておきたい。
出会いは、6年前にサカノボル。目黒通り沿いの私のショップに突然訪れた新規客・あべこ。
「車で前を通るたび、ずっと来たかった店なんです!!」「ありがとうございます♪」
「可愛いお店ですね!欲しいモノだらけ!あぁ、どうしよう!」と大興奮しながら、買い物をしていったあべこ。それから、常連さんになり、来店のたびに購入物のクオリティを上げていった。
とにかく、素敵なモノに支えられて生きているような、元気な子だった。
大分の店、アリスクロゼットの出店が決まり、当時のバイト・みいこの懐妊も手伝って、新スタッフ募集の張り紙を小さく店頭に貼った。
それに名乗りをあげたのがアベコだった。「働かせてください!ここで!」
実は大いに迷った私。常連さんをスタッフにして、私が仕事を教えるということに抵抗があって。
でも、私の店が大好きだというあべこの情熱に乗っかった。
とにかく、不器用な子だった。ひとつ覚えるまでに失敗を繰り返しながら、それでも、私がすごいなぁと思ったのは、失敗したことをリベンジしようという姿勢が真剣だった。
失敗したら取り返す。何度も何度も、怒られても、「やらせてください!」という純粋な姿勢。
そうやって、あべこは仕事を覚えていった。
当時のそのお店は、お客さんの滞在がとても長くて、お客さんとの会話が密な店だった。お客さんと友達になるというコトを大切にしている店だった。そのコンセプトは、現在のアリスクロゼットでも変わらないけれど。
笑顔が明るくて、好きなものをお客さんに伝えるのに真剣だった。どんどん、「あべこファン」は増えた。
私が東京の店と大分のアリスクロゼットを行き来している間、あべこは東京の店をきちんと守り、とにかく掃除は完璧で、「私に出来ることを一生懸命します」と、掃除もそうだけど、接客に関しても、売上に関しても、毎日の売上目標を個人的に決めている子だった。
「お客さんのお財布を考えながら、本当に似合うものだけを薦めてあげてね」という、私の店のコンセプトに、百貨店の販売員出身のあべこは、「こういうモノの売り方をしたかったんです」と言って、お客さんの欲するもの、生活背景をきちんと覗けるように成長していった。
少し接客が強引だったかな、と感じたときに、ココロから、「でも本当によく似合っていて、その方に着て頂けたら絶対その人が幸せになると思ったんです」と、純粋に言える子だった。
私はあべこが大好きで、あべことは本当に価値観があって、一緒にいる時間が飽きなかった。
とにかく毎日一緒にいて、仕事が終わってからの食事も毎日一緒だったし、お互いがオフの日も夜は合流し、自由が丘界隈のお店では、私たちの仲の良さは有名だった。よそのお店さんから、「どうしたら、あんな風に店のことを一番に考えるスタッフを育てられるのか教えてください」と、よく言われた。
私は「彼女のもってる天性の純粋さです」と答えていたけれど、あべこは、「オーナーの言ってることは筋が通ってますから、ついて行ってるだけです」と答えていたらしい。これもよそのお店さんによく聞かされた。
一番、彼女が純粋に店を愛していると感じた出来事がある。
ある年のお盆、帰省ラッシュに伴い、東京店のゆるゆるモードを見越して、アリスクロゼットのみの営業にしようと東京店は五日間のお盆休みをとることにした。その間にあべこにゆっくりしてもらおうと思ったし、東京店でしか扱ってないブランドをアリスのお客様の見せようと、私は帰省した。
お盆のアリスのみの営業を終え、東京に帰ってきて営業を再開すると、何故か常連さんと話がかみ合わない。よくよく話をしていくと、東京店は通常通り、オープンしていたと言う。
「開けてたならお給料が発生するんだから、言わなきゃ」と言うと、「休みと言われても店が気になって、開けてたら売上あげられるので・・・。でも、オーナーにそれを言うと、オーナーの仕事は二重になりますから・・・」と言う。すごいな、このヒトと心から思った。なんて有難い。
私不在の東京店は、きちんと売上をあげていたのだ。
とにかくお客様に愛された。私とあべこは役割を分けていることをお客さまが認識し、私の苦手な仕事はあべこが買って出た。お客様が、「ふたりはセット」と呼んでくれていた。
三年経った頃、私はどちからかの店を閉めることを独りで決意した。景気の降下と、二重経費の節減、そして、情熱の二分化に疲れていた。片方のお店の状況が見えないことに苛立っていた。
「私は事業家には向いてない。現場にいたい人間だからこそ」と、独りで決めた。
だからアリスクロゼットを閉めようと、とりあえず日田へ向かった。でも、今でこそ家族のような関係の某住○株式会社の常連さんや、隣でオムニを頑張ってるチコ、そしてアリスクロゼットで頑張ってるスタッフに逢うと、なかなかそれを切り出せず、一日を終え、「どうしたものかな」と、三隈川へ向かった。
しんしんと静まり返った夜の闇のなかの川面、てんてんと灯る規則的な外灯。美しい三隈川。
それを眺めて、私は突然の決意を変えた。
「東京を閉めよう」
その時の気持ちは言葉で言い表すのが難しい。私の目の前を広がる川面を見て、その美しさに見惚れ、私の育った街を誇りに思った。
私は川を眺めたまま携帯を取り出して、チコに電話した。
「グラマラスライフを閉めるわ」
チコは、「あなたが決めたことなら。帰っておいで」と言った。「でも、あべこは?」とも、チコは言った。
「それだけなんだよ、執着は」と私は言った。
「あべこちゃんは大丈夫。あの子は、どこででもやってけるよ」
「わかってる。私はあべことの日々に執着してるんだね」
「相棒だもんね」「うん」「辛いね」「うん」「でも生き抜いていかないとね、あんたの店だから」
「そうだね」
そして東京に帰った私は、私たちのお気に入りのカフェ「アジト」へあべこを連れていった。
一時間以上言えなかった。やっと切り出したとき、「もう、このアジトへは来ません。辛すぎる思い出です」とあべこは言った。
私たちは閉店作業に没頭し、あべこは、「ここが閉まるまで就職活動はしません。全意識をこの店だけに捧げます」と言った。そして、私たちは最後の日、店でお客さんたちとシャンパンを飲んで、最後にあべこに鍵を閉めさせた。あべこは、「閉めますよ」と言いながら、なかなか鍵を閉められなかった。
そして、私は先に九州に向かい、その何日か後にあべこは日田に来て、二週間滞在した。
私は、「再び、この人と仕事をするために頑張る」と、時代の荒波に目を見開いた。そして、二週間が経ち、あべこが東京へ帰る日、あべこが乗った飛行機を見送りながら、泣けなかったことを私は後々までずっと後悔した。
あべこは次の職場で、大きな力を奮った。「新しい人材」だと、大切にされたらしい。「ヒトはいつでも笑顔でいなければいけない」というコトを、会社側があべこを見て感じたそうだ。そのことを、あべこや、あべこのお母さんが、「すべて、オーナーが教えてくださったコトです」といつも伝えてくれた。
あべこに執着していた日々、私はいまでもあまり変わらない。次々と進化していくアベコを見つめながらも、私にとってあべこはずっと相棒なのは変わらない。
いつか、いつか、と思い続けながらも、それでも、この街に根づくコトを日々確信していった。
あべこといつかまた、仕事をすると思いながら、それでも、もうこの地域と共存することを感じていった。
これも人生。哀しいかな、素晴らしきかな、人生。歴史に支えられ、進化する。あべことの日々も私にとって、足跡であり宝物へと。
そして、あべこに芽生えた命。時は移り変わる。ヒトの歴史は新しい感動で塗り変わっていく。
私の大切なもの、焦がれるように輝くものが、またひとつ増える高揚感。
あべこ、心から嬉しいよ。ある意味、私にも、天使だよ。



私たちは、何度でも越えられる。あの日の別れを想えば、新しい景色に希望を見なければ、前に進めない。私たちは、何度でも、存在価値を作り出せる。どこでも、どんなときも、必ず笑顔だ。
